マラソン川内優輝(究極トレーニング)が世界陸上2017でラストラン!

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日本最強の市民ランナー・川内優輝はまだ30歳ですが、ロンドン世界陸上2017を最後に日本代表を引退します。

キャリア最後の世界陸上で、川内優輝は日本選手権団男子主将に任命され、壮行会で決意を表明し、他の選手にも奮起を促しました

 

では、ジーニアス川内優輝のラストラン・世界陸上2017への軌跡をまとめましたので御覧ください!

ジーニアス川内優輝の陸上世界選手権2017!

世界陸上・代表選考会直前にアクシデント連続!

ロンドン世界陸上は2017年8月開催ですが、その代表選考会は2016年12月4日の福岡国際マラソンでした。

他に選考会は2017年2月に東京マラソン、2月に別府大分毎日、3月にびわ湖毎日があります。別府は例外ですが基本的には日本人で上位3人が日本代表の候補になります。

 

川内優輝にとって福岡マラソンは怪我との戦いでした。大会一ヶ月前に右ふくらはぎを故障し、さらに大会二日前に左足首を捻挫しました。

世界陸上・代表選考会の福岡国際マラソンで最後の代表入り!

このアクシデントなら普通は欠場するところですが、川内優輝は諦めませんでした。周囲の制止を振り払い鎮痛剤を打って強行出場しました。

調整不足は否めない中、20kmを過ぎてから雨が振り、身体が冷やされて走りやすくなったそうです。

 

そしてペースメーカーが予定外の離脱をしつつも好機と捉え、ライバルを引き離しました。

1位はイエマネ・ツェガエ(2時間8分48秒・エチオピア・31歳)、2位はパトリック・マカウ(2時間8分57秒・ケニア・31歳)3位は川内優輝(2時間9分11秒・日本・29歳)でした。

 

ゴールで号泣した川内優輝はインタビューで、ベストを尽くせてホッとしたらうれし泣きしてしまった、と言っていました。

この結果を踏まえ2017年3月17日に川内優輝が世界陸上のマラソン代表に選ばれました。他に、井上大仁(MHPS・24歳)、中本健太郎(安川電機・34歳)も代表入りです。

ジーニアス川内優輝の世界陸上への究極トレーニング!

普通のトップランナーならフルマラソンは年に1~2回出場するところ、川内優輝は毎月フルマラソンを走っています(究極トレーニング)。

直近では2月の愛媛マラソン、3月の久喜マラソン、4月の大邱国際マラソン、5月のプラハマラソン、6月のストックホルムマラソン、7月のゴールドコーストマラソンなどです。多すぎです。

 

 

しかも4月頃からは毎月600km以上を走り込んでいます。さらに5月下旬には100km走を行い、トレーニング量への自信を得ました。

この練習量が川内優輝はレース終盤のメンタル勝負で勝つために必要だと確信しています。

ちなみに、実業団には毎月1,000kmを走る人もいます。

ジーニアス川内優輝の世界陸上2017、フルマラソン決勝!

大会三日目、8月6日にフルマラソン決勝が行われます。エントリーは川内優輝(埼玉県庁)、中本健太郎(安川電機)、井上大仁(MHPS)です。

川内優輝の分析では、1位と2位になるのは無理、でも3位はよく引き離されるから可能性がある、と言っていました。

 

冷静な川内優輝のラストランが、いよいよ始まります!

 

 

大会三日目に男子マラソンが行われ、1位はジョフリー・キルイ(ケニア・24歳)が2時間8分27秒で初優勝。

日本勢は代表ラストランの川内優輝(埼玉県庁・30歳)が9位の2時間12分19秒、中本健太郎(安川電機・34歳)が10位の2時間12分41秒、井上大仁(MHPS・24歳)が26位の2時間16分54秒でした。

 

川内優輝ラストランの内容は、日本勢が全員先頭集団につけるなか、川内優輝は15.9km付近の給水ポイントで他の選手と接触しました。

20kmで外国勢がペースを上げ日本勢は次第に遅れ始めます。川内優輝はその後つまずいて転倒し、さらに給水に失敗して苦しい展開になりました。

 

しかし持ち前の粘りで30km付近からジワジワと順位を上げ、ラストスパートで中本健太郎を抜いて自己最高の9位でゴールしました。

ゴールして力尽きた川内優輝は車椅子で運ばれていきました。

 

川内優輝はレース後のインタビューで、日本代表としてやれる限りのことをした、と言っていました。引退は固辞ですね。

 

 

レース終了後に瀬古利彦マラソン強化戦略プロジェクトリーダーは、川内優輝はまだやめる必要はない、と引き留める考えのようです。

現に川内優輝(30歳)が僅差で勝った中本健太郎は34歳です。まだやれるはずとも思いますが、どうでしょうね。

 

川内優輝の弟氏は、引退をすることで自分自身を追い込むのが目的ではと言っていたので、ワンモアチャンスはゼロではない気がします。果たして・・・。

 

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ジーニアス川内優輝のプロフィール!

ジーニアス川内優輝のプロフィール!
photo byJan Kraus
1987年3月5日に生まれ、2017年8月現在で30歳になります。身長175cm、体重62kg、血液型謎です。出身は埼玉県北葛飾郡鷲宮町です。

ジーニアス川内優輝の父親・母親・弟!

川内優輝(かわうち ゆうき)の父親は国体に出場したこともあるアマチュアボクサーでした。母親は元中距離ランナーで現在は市民ランナーです。

川内優輝には弟が2人います。鮮輝氏(26)と鴻輝氏(24)は共に元陸上部で、現在もマラソンに携わっています。

ジーニアス川内優輝の出身小学校・中学校!

久喜市立砂原小学校に入学し、川内優輝が小学1年生の時にちびっこマラソン1500mで5位に入ったことで、母親によるスパルタ特訓が始まることになります。

スパルタ特訓は毎日行われ、1500mで自己記録を更新できなければ罰としてもう1本走るという過酷なものでした。巨人の星の陸上版だったそうです。

 

鷲宮町立鷲宮中学校に進学し、陸上競技の楽しさに目覚めました。それまではいったい・・・。

ジーニアス川内優輝の出身高校・大学!箱根駅伝!

埼玉県立春日部東高等学校に進学するも故障を繰り返し、県大会レベルに留まりました。

学習院大学に進学し、箱根駅伝に2度出場しました。2007年は6区を区間6位、2009年はまた6区を区間3位の結果でした。

 

2009年2月の別府大分毎日マラソンが川内優輝にとって初めてのフルマラソンでした。20位と健闘しました。

ジーニアス川内優輝の市民ランナーへの道!仕事は高校職員!

川内優輝に陸上の実業団から誘いはありましたが、公務員試験大詰めの時期だった為、今更ということから実業団を断りました。

そうして埼玉県庁に入庁し、埼玉県立春日部高等学校定時制の職員になりました。

 

市民ランナーとしての東京マラソン2010では、1位との差が17秒の2時間12分36秒で4位に入りました。

 

 

ジーニアス川内優輝の世界陸上2011と2013!

東京マラソン2011で代表選考基準をクリアしたため、川内優輝は初の世界陸上・日本代表に選ばれました。

大邱世界陸上2011では、川内優輝が序盤から先頭集団につけていましたが、16km付近で失速しのちに順位を上げだすも、日本人三番手の18位でゴールしました。

 

別府大分毎日マラソン2013で川内優輝が優勝し、代表選考へ名乗りを上げました。後に代表に決まりました。

モスクワ世界陸上2013では、川内優輝は気温25度に対応できずに25km付近でまた失速。日本人四番手の18位でゴールしました。

ジーニアス川内優輝のオリンピック代表・落選!

2012年ロンドン五輪の国内選考会では、東京マラソン2012で14位に終わり落選しました。

2016年リオ五輪の国内選考会では、福岡国際マラソン2012で8位に終わり落選しました。この他にも選考大会はありましたが、どれも順位が奮っていませんでした。

ジーニアス川内優輝の仁川アジア競技大会2014!

川内優輝は仁川アジア競技大会2014に日本代表として出場し、先頭集団の勝負が最後のトラックに持ち込まれたところで脱落しました。

結果3位の銅メダルを獲得しました。

まとめ

マラソンは海外勢がとても強いですが、今回のコースはスピードが出にくいそうなので、混戦になってワンチャンあるかもしれませんね!

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